日日是気付

答えがないって分かっててもなぜか考えちゃうこと

センター試験の季節ですね

https://twitter.com/hanao_sakebu/status/1080138743393079296?s=21

そうなったら人生悪いんか??

めっちゃわかる。

いや阪大に受かったはなおが言うからこの言葉は綺麗で心に刺さるのであって国立落ちて明治の自分が言ってもぺらっぺらに薄いけど、
落ちることって必ずしも失敗ではないと思う。

落ちるまでは落ちることは失敗だと思っていた。恥ずかしいことだと思っていた。いや受かるより恥ずかしいことに変わりはないのだけれど、
予備校や学校が掲げる「第一志望合格!!」に洗脳されていたのかもしれない、とも思う。
受験生だったころは落ちることがとてつもなく怖く感じて、タブーなんだと思っていた。訳もなく怖かった。

でも落ちても世界は終わらなかった。
考えなくてもそんなの当たり前だった。
私が落ちたところで何か変わるわけじゃない。家に帰れば家族がいるし、ご飯だって食べれるし、私は大学生にもなれた。今も毎日大学生っぽく過ごしている。
時々、私は何を怖がっていたんだろう、と思う。

でも、きっとそういうことじゃないんだろう。落ちても毎日は続く。受験生だった自分があんなに恐れていたことが起こっても、起こってみると、案外、何だこんなもんか。と思っている。でも、絶対に第一志望じゃなきゃ嫌だ、という人がいる。

ここの研究室に入りたいから、とかこの教授に教わりたい、とか
そこじゃない他の大学は絶対に嫌だという人がいる。
そういう人にとっては、どうしてもそこじゃないとダメなんだ。

それが、理想だと思う。
絶対にここじゃなきゃ嫌だ、という思いが強い人は受かる。受験、最後は気持ちだ。

でもそんな人は少ないと思う。

自分もそうだった。

授業料が安いから国立、自然が好きで木に囲まれた環境っていいな~と思って筑波大を志望していた。

でも筑波にはなかなか手が届かなくて、高3の10月で初めてD判定が出た。
センタリサーチ*1も変わらずD。
D判定じゃ受からない。そう思った。そう思って志望校を変えた。
B判定なら受かるだろうと思って千葉大にした。

3日悩んだ。センターが終わって担任と二者面談をするために学校に向かう電車の中で、センリの結果で志望校を変えた人のブログを読んで、千葉大にしてもいいかもしれないなと思い始め、さっそく担任に相談をした。
そのブログの内容は、志望校を下げたことで心に余裕がうまれて、目標を見据えて具体的な計画を立てることができた、みたいなものだったと思う。よく覚えてないけどとにかくその記事に私は背中を押された。

「下げるって気持ちじゃどこにも受かんないよ。」

担任は私のその時の実際の自己採の得点率をもとに、過去五年分くらいの統計を見せながら
この得点率なら何人落ちて何人受かってる、みたいな具体的な説明をされた。確か4:1くらいで落ちた人の方が多かった。
担任は決して、受かってる人もいるんだからあきらめなくてもいいよ、とは言わなかった。ただ数字を見せた。

到底受かるとは思えなかった。

センターが終わって燃え尽きて弱気になっていたのだと思う。
冬休みに入って毎日6時に起きて、3食とお風呂の時間を三時間以内に済ませて一日14時間勉強した。ずーっと勉強した。勉強したくない、とか受験生なんだから勉強しなきゃいけない、とかそんなことはこれっぽっちも思っていなかった。過去問で分からないところがあるのがひたすら不安で、何かに追い立てられて取りつかれたみたいに勉強していた。
お正月は家族が起きてくるのは大体8時。それからおせちを食べる。けどおなかが空いておせちまで待てないから自分の部屋に筒に入ったするめ常備してかじってた。そしたら1月2日に歯が欠けた。
冬休み最終日、冬休みの成果をはかろうと、センターの世界史の過去問を受けた。64点だった。
落ちた。
と思った。
今まで何だったんだろう。
きっと同級生は、同じ土俵で戦う人はみんな64点なんてとうの昔にとれるようになっている。なのに自分は。
やれるだけやって、もう本番だというところでこれしか取れない。もう終わった。冬休みいくら勉強したって言っても、それまでの頑張りが足りなかった。やっぱり無理だった。もう間に合わない。

冬休みが明けた。

「もう遅いなんて思っていませんよね?」

朝のHRに配られた進路通信に書かれてた言葉。はっとした。
うっそまだあきらめてない人がいる~~~~~
まだ私、諦めなくていいんだ!!?!?!目から鱗が落ちるって感じだった。ほかに何が書かれてたのか覚えてないけど、絶対この言葉は一生忘れない。
この言葉のおかげで、センター世界史は89点だった。

今まで使ってきた参考書を信じて、ひたすらやった。電車の乗り換えの時間も惜しくて走って早めにホームについて、駅のエスカレーターで、参考書を読んだ。1秒もあれば穴埋め問題が一個解ける。ただただ一つでも多くできない問題をつぶしたかった。
寝る前も眠くなる直前までベッドで参考書読んで、夢でも勉強できますようにって枕の下に入れて寝た。初夢かよ。一富士二鷹三茄子
追い詰められた受験生怖すぎ。
でもその時は本気だった。

進路通信もらった日、世界史の補習中。

「暗記科目は一番伸びる。だから今世界史が50点しか取れないやつはチャンスなんだよ」
いやいやいや50点て!!!って笑う気力もなかった。よかった......せめて60点取れてて.......の気持ちの方が大きかった。
今思えばそうやって神経質な受験生を配慮して先生も真面目に「50点」って言ったのかなと思う。どうでもいっか。

「お前らが80点取れなかったら嘘だ。」

よーし、80点以上取ろう。(単純)

単純だけど、真剣だった。この先生にはお世話になった。一年生の時の担任で部活の顧問で、しかも世界史の教科担任。世界史が苦手だった私はよく授業後質問しにいった。どんなとんちんかんな質問をしても先生はわかるまで付き合ってくれて、席が教卓の真ん前になったときは授業後、先生が一通りみんなの質問を答え終わると、どこがわかんない?って聞いてくれた。どこも何も何から質問したらいいか分かんない時も先生から質問してくれた。はあ~懐かし!
だからこの先生には60点なんて見せられないと思ったし、70点も見せられないと思った。
少なくとも私はこの高校に入ることができた。単刀直入にいうと県内で三番以内に頭がいいこの学校に。高校名をいうと驚かれる、受験生が憧れるこの高校に。
それが、無駄になってしまう。
せっかくここに入る時も努力したのに、それではここに受かった意味がない。
大げさかもしれないけど、ここに、今までの自分が懸かっている気がした。

「足掻け?最後まで」

はい。

世界史が得意な友達にお願いして、朝30分くらい早く学校に行って世界史を教えてもらった。センターの直前も直前な大事な時期にその人は「教えるのは自分のためにもなるし~」って付き合ってくれ、その子は東大文Ⅱに進学した。かっこよすぎる
教室ではほかの人たちの邪魔になるから寒い廊下でやってて、その世界史の先生もすれ違った。笑われるかと思った。こんな前日まで友達にちんぷんかんぷんな質問して、そこ授業でやったやん~~~~~とか内心で思われてんだろうな
と思った。恥ずかしかった。
世界史の先生だけでなくて、何人か先生は通った。でもみんなあったかかった。普段と変わらずにおはよう、と声かけてくれる先生もいたし、いつもよりなんかちょっと優しく声をかけてくれる先生もいた。世界史の先生はあいさつに厳しくていつもは先生からは挨拶しないのに、その日は先生から声をかけられて振り向いた。当り前のことかもしれない。馬鹿にする先生なんていないだろう。でも、少し恥ずかしさを感じていた私は、そのことがすごくうれしかった。ほっこりした。そして少し自分が誇らしくも思えた。

最後の悪あがき。

この期に及んでそんなことをしてるようじゃ結果は目に見えてる。

そんなことをいう人は周りに誰もいなかった。何回も言うようだけど、結果からいうと私は千葉大に落ちた。でも、あの環境にいなければ明治も受からなかっただろうと思う。センター前に諦めて、センターもぼろぼろでそのままなし崩しに全部がだめになっていた、そんな気がする。

40点を60点にするのは簡単だ。みんな70点、80点を限りなく90点、100点に近づけるためにひたすら最後まで足掻いていた。

この時期の私がめちゃくちゃ勇気をもらったことばを紹介します。諦めかけてる受験生に届くといいな~~~~~~~!!!

ずっと勉強してきたみんなの脳は今が一番吸収力がある。今まで三回やらなきゃ覚えられなかったことでも今なら一回で覚えられます。今日の午後は今までの三日分、もしかしたら一週間分くらいの密度にできる。


当日の朝、もっと言えば問題を開く瞬間に偏差値がピークになっていればいい。span>

そんな前向きな言葉をくれた先生方、ほんとにありがとうございます。はあ好き~~~~~~~~~!!!





そう、それで担任との面談の話になります。

その頃の私は弱気だった。センターで力尽きてしまった。

「下げるって意識じゃどこも受かんないよ。」

やっとこの話ができる。笑

正直「はっ?」って感じだった。
だって、千葉大って筑波より下じゃん、だから千葉大にするんじゃん。それって下げる以外の何物でもない。下げたいから私は千葉にしたいんだ。

同時に担任が言いたいことは何となく理解しているつもりだった。だから下げると思うのはやめようとした。でも「千葉で良い」以外で言えなかった。「千葉が良い」にはどうしてもならなかった。
「この時期に下げるとね、勉強しなくなっちゃうの。センター終わって、今からが勝負なんだよ。」
ドキッとした。"今からが勝負"って、もう加速できる気がしなかった。

それまでだった。その時点で私はもう落ちていた。

結局、私は志望校を変えた。高校一年生から筑波に行くっていっていたのに、案外あっさり変えてしまった。

受験は最後は気持ちだ。

気持ちが足りないと踏ん張れない。当り前のことだけど、簡単じゃない。

できない理由なんて探せばいくらでもみつかってしまう。だからどうしてもここを目指す理由が必要だ。

落ちて初めて分かったこと。

















わりとネガティブに書いた。

でも

そうなったら人生悪いんか??

こうも思ってる。

わかんない。防衛機制かもしれない。向き合うと自分が傷つくから合理化してるだけなのかなあ。落ちた人が言うとただの言い訳に聞こえるよね。

でも、どっちの人生が良かったかなんてわからないことは確かだと思う。
受かるといい人生が待っていて、落ちると悪い人生が待っているのか?

高校の卒業式、好きだった副担任が言っていた。

「僕の友達は浪人して予備校に通っていたんですが、その時隣に座っていた人と結婚しました。そこには幸せが待っていたんですね。」

後から知ったけど、この時クラスの四分の一が浪人することを決めていたらしい。
クラスでは笑いが起こったけど、みんなどんな気持ちで聞いていたのかな。私はほっこりした。その先生の型にはまらない、新しい価値観を持っているところが好きだった。この人はどうしてこんなにいろんな角度から物事を見られるんだろう、と尊敬していた。
でも自分が浪人する立場だったら、どんな気持ちだっただろう。少なくともそれでもそんなことより不安の方が大きかったと思う。

話を戻すと、どっちの人生がいいのかなんて、誰にも分らない。人生は一つしかないから2つの人生を比べることができないから。
だったらもうそれでいいんじゃん??????

落ちたら落ちた人生しかわからない。
受かったら受かった人生しかわからない。
その2つを比べることはできない。

比べられないし、それでよくね?どうせ比べられないのに比べる必要あります??????

って落ちた人が言うのめっちゃむかつく~~~~~~!!!(落ちた人)
負け犬の遠吠え~~~~どんだけ~~~背負い投げ~~~~~~って感じ?

落ちたことを後悔したくないなら、後悔しないように生きればいいんです。
落ちても何も終わりじゃない。

どうしても医者になりたくて、でも医学部落ちたとか、そういう人はちょっとそういうわけにはいかないかもしれないわかんないごめんなさい(投げた)
でも、医者になるって夢はそこで終わりかもしれないけど(露骨)医者が天職じゃなかったかもしれないし、きっと他につくべき仕事があるってことだと思います。割と本気で。

縁だから。

担任に言われた言葉。

2者面談の時
まあ結局どこに受かるかは縁だから!って言われた。

え、そんな感じ?軽!
縁の一文字の重さありすぎでしょ、って思ったけど、
明治行きますって報告したとき、古文の問題(担任は古典の先生)で、授業でやったやつが出ました。って言ったら、そっかあ導かれたんだよー!って言われて泣きました。
なんかうまく言えないけど、そういう運命だったといえば複雑だけど、これでよかったんだ。きっとうまくいく。と、少し思えた。




少なくとも、この1年、大学に入ってからいろいろなものに出会うなかで、いいことばかりじゃなかったけど、楽しい1年だった。(急にまとめる)
新年一発目がこの記事なわけで、ほんとはバイト先の人間関係についてだらだら書こうと思っていたんですけど、書く前にはなおのツイート見つけてしまったばかりに、受験期をこんな盛大に振り返ってしまった。ほんとは導入だけちょろっと書こうとしたのに(6301字)



明けましておめでとうございます。



眠い!!!!!!!!!!(午前3:30)


【1/16 追記】

第一志望じゃない大学に入って後悔する理由の1つに、思い描いていた大学生活じゃなかった場合があると思う。

授業がおもしろくなかったり、尊敬できる友達、先輩がいなかったり、雰囲気が自分には合わないと思ってしまうことがある。

散々私は後悔していないと書いたけど、正直落ちた直後はめちゃくちゃ落ち込んだ。今までなんだったんだろうと思ったし、落ちたからもう何も残っていない気がしてた。いくら直前期は誰よりも勉強した自信があると言ってもやっぱり結果がすべてだ、とも思った。すっごい勉強したんだよ!って言ったところで、ふーん、でも落ちたじゃん。って言われて終わりだ。自分ではせめてあの時期があってよかったと思ってるけど。自分にそんな気合いがあるって知れたことがたまに今の自分を支えてくれる。

入学してからは、生意気にも自分のいるところじゃないと思ったりした。生意気だった。
高校どこ?って聞かれて答えると、え、あたまよ!?って言われるのが辛かった。

は〜レベル落ちたな〜

って感じさせられたから。きっと高校の学力相応の大学に行っていたら別に驚かれることもなかったんだろうなあと思った。

その時はじめて、march受かっときながら浪人を決めた同級生たちの気持ちが分かった。なるほど私も浪人すればよかったかもしれない、と5ミリくらい思った。(今はそんな気持ちはない)

入学式出てここは自分のいる場所じゃない、と感じて浪人決めた友達を見て、この人が正常だと思ったりもした。

何がそんなに自分に合わないと思ったのか。

でも今となってはそれすらもまあいっかと感じる。気に食わないこともあるけど。(何回も言う)それは自分が良い意味では順応して、悪い意味では流されたということだと思う。流された方が楽になることもある。(笑)

それに、高校から大学に入るとたくさんのカルチャーショックを受ける。今まで知らなかった文化とか、人に触れてショックを受ける。入学直後は特にそう。

(私が受けたカルチャーショックの例です。良かったら見てね)


amnos-l00000ve.hatenablog.com

amnos-l00000ve.hatenablog.com
↑大学生のお酒の飲み方私は合わない問題

だから、もし、あっちに受かってたら...って逃避するんだと思う。逃避だと思います。何回もいうけどあっちに受かってだからといって大学生活マシだったなんて補償はない。

だから、私はあえて、後悔してないと言いたい。
入学式は人間関係0からのスタートで友達出来るのかすごい不安だったけど、なんやかんや友達には恵まれて楽しく過ごしてます。この人たちに出会えたし、ここに入って良かったと思ってる。
高校卒業するときは、もうきっと価値観を変えてくれるほどの出会いなんてそうそうないと思ってたけど、そんなことなかった。

この人たちといたら楽しいって人たちの存在って人生生きやすくしてくれるんだなって気づいたし、とにかくなくてはならない存在です。
そういう友達がいるだけで辛いこともなんやかんや耐えられた©はなお


ということで、これをこれから受験を控えている人が見たらそれはそれで複雑なんですが、それもまた人生って感じで気楽に行っていいんじゃないでしょうか!という持論でした。

*1:センター試験の自己採を出すと判定が出る。これで二次ではどれだけ点数取ればいいかわかったり、厳しいから違うところに出願するとか決める。