日日是気付

答えがないって分かっててもなぜか考えちゃうこと

『青空に飛ぶ』

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2,3年前の日本橋丸善で特集されていて、気になっていた本です。この前ふと思い出して読んでみました。

 

この本を読みながら主に考えたことは2つ。「いじめ」と「戦争の中にある虚しさ」について。

読み始めてから気づいたことですが、事実に基づいた戦争の話を本で読むのはこれが初めてでした。だから、自分の知っていた戦争と、真実との間にギャップがあると知って、とても衝撃でした。戦争は私が思っていたよりも残酷で、狂っていて、そして虚しかった。正義とは何か、を考えさせられるほど。時代によってこうも正義というものが変わってしまうのかと思うと、自分が今正しいと思っていることは本当にそうなのか、と自信がなくなってしまった。

特に、特攻隊の指揮をとっていたのが、飛行機の知識もろくにない人だったと知ったとき、なんとも言えない虚しさに襲われた。もっとも、特攻隊が考え出されたのは戦争も末期で、日本もやけになっていたというのはなんとなく知っていた。けれど、若くて優秀な人たちが、ろくに知識もない人に振り回されて死の恐怖に直面し、実際に死んでいかなければならなかったっていうのは、言葉にするまでもなく不条理で、悔しくて、なんとも言えない気持ちになった。戦争は思った以上に杜撰だった。

 

と、ここで一度、戦争についてではなくてこの本全体の感想に戻りたいと思うのですが、正直、この本の面白さは99%『陸軍特別攻撃隊』の要約部分だった。個人的に。

この本は、中学2年生の友人くんが学校でいじめを受けて、そこから逃げたり戦ったりするパートと、友人くんが読んでいる『陸軍特別攻撃隊』の要約パートに分かれています。

いじめの描写はめちゃくちゃキモい。キモいって言っちゃ悪いがキモすぎる。そのあと食べる飯がただただ不味くなる。それに、友人くんの、なんとなく日本の雰囲気を鼻で笑っている感じがイライラする。友人くんは3年間ほどアメリカで過ごしていて、その後中学2年生になってまた日本に戻って来た。日本の自己主張が弱い雰囲気とか、校則が厳しいところとかに違和感を抱いては心の中で反発する描写が多い。確かにいうことは間違ってはいないし、思う分には全然良いし、納得いくまで先生に疑問をぶつけるのも全然いい。とは言っても、郷に入っては郷に従えって感じ。自分のこと正当化しすぎじゃない?(?)

そんなこんなで、読みながら、全体を通して現代パートに戻るたびに私は鼻で笑ってしまった。

それでも読み続けたのは、やっぱり要約パートが圧巻だったから。シンプルに、『陸軍特別攻撃隊』の要約は面白かった。『陸軍特別攻撃隊』の原本は、きっと壮絶すぎて私は最後まで読めないと思う。だけど、これは要旨をかいつまんで、でもさわりはしっかりおさえてある文章だったから読めた。夢中になって読んだ。

 

「いじめ」

の内容については、きっとこれはどこかで起きている出来事なんだろう、と読みながら思っていた。描写はあまりにも直接的でキモかったけど、だからといってキモいと思っただけでなく、考えさせられもした。

いじめはいじめる側が絶対悪いというけれど、正直私はつねづね本当にそうなのかと思う。

読みながら友人の考え方も、両親の対応も理解できなかった。そもそも友人がそんな目に遭ってまで学校に行く意味も分からないし、あんなにいじめがヒートアップしているのに誰にもSOSを出せないのも分からない。自己主張自己主張言ってる割に自分も出来てないやないかい。現代パートはまじで理解できない。

ということで、ここからはいじめについて考えてみようと思います。

私も中1のとき仲の良い女の子にいじめられたことがあった。毎日風呂場で泣いていたし、毎朝その子の顔を見ると吐き気がしたし、なによりいつまで続くかわからないことが辛かった。そんな状況は確か3ヶ月くらい続いたんだと思う。友人くんと違ったことといえば、私の周りには理解してくれる担任がいて、親がいて、教頭先生がいて、なにより四六時中味方になってくれる友達がいたこと。そんな状況が"いじめ"だったのかと思うけど、まぁ、いじめだった。

私の周りには、正しいことは正しいと考え、主張してくれて、ずっと味方になって側にいてくれる人がたくさんいた。書きながら思い出して泣きそう。

担任は顧問にも伝えてくれたし、そのおかげで顧問もしかるべき措置をとってくれたし、なんか知らんけど(私が)仲が良かった教頭先生までそのことを知っていた。その時はなんでみんな知ってるんだろーくらいにしか思わなかったんだけど、後になってから、あれは私の周りには、私元気かな〜?って見守ってくれる人がたくさんいたってことだったんだと、気づいた。

たとえばですけど、こういう事実があったときに、私がいじめられていたことをこんないっぱいの人に言いふらすなんてなんて酷い担任なんだろう!って思う人と、見守ってくれる人がいっぱいいたんだなあ、と思う人がいる。こういうことなんだと思うんです、いじめがなくならない原因って。たとえばですけど。どこからをいじめと捉えるかは完全にいじめられる側の問題ですよね。

 

話を戻すと、その教頭先生があるときの全校集会の終わりに突然文脈から外れたことを言い出したことがあった。「いじめはいじめる側が100悪い」ただの全校集会の閉会のことばで突然そんなことを言われてみんなポカンって感じだったけど、私は事の成り行きを知っているので感動した。「いじめる側が悪い」と言い切ったことに感動したのではなく、それが全校集会という場で私1人に向けられた言葉だったように感じたから感動した。

 

あの日教頭先生が言い切ったとはいえ、私はそれには賛同しない。いじめは捉え方と、親をはじめ、周りの大人の問題である。

いじめは必ず起こる。「いじめをなくそう」なんて無理。いじめが起こってから、本人がどう捉えるか、周りがどう味方になってあげられるかの方がよっぽど大事だと思う。

私は、いつか自分の子どもにはとにかく、世界が学校だけではないこと、自分の味方は探せば必ずいることを教えてあげたいと思う。