推しを推すということ
休止するって聞いて初めて気が付いたことはたくさんある。
あまりにも、「嵐は普通じゃない」という感覚に慣れすぎていた。
番組のゲストで出れば「国民的アイドル」が必ず枕詞のようにつく嵐、MCの人にも大切に扱われて、紅白の司会もしちゃうし、翔くんは音楽番組の司会をやるのが当たり前になっていて、どんどん想像つかないところまで行ってしまう。
こちらからは欲さなくても常に供給される嵐に慣れすぎていた。
嵐はいつまでも続くと思っていた。
中学生だか高校生のころ、ふと、「嵐の終わり」を考えたことがある。その時私は号泣するだろうな、と不意に怖くなった。
きっかけはなんてことない、「地球滅亡の前日あなたなら何をしますか?」っていうテンションで、ふと、嵐が終わる時ってどんなんだろう...って考えてた。
いつかのベイストで、ニノが「引退」についてしゃべったことがあった。覚えてるってことは印象的だったんだと思う。
「山口百恵さんみたいにさ、絶頂期でステージにマイクおいて引退、みたいなのかっこいいよね」
と言っていた。
多分めっちゃ前、少なくとも五年以上前。
「人間って、30歳で一回『俺の人生これでいいのかな』って考えるらしいよ。俺?俺は考えたことないね。」
へーそうなんだ。と思った。
確かにそんな引退かっこいいな。と思った。
いつまでも、記憶の中のそれは輝いているなんて素敵だと思う。
まさか本当になるなんて思いもしなかった。
けれど、今あの時のニノの言葉を思い返してみても、記者会見の五人の様子を見ても、今の嵐めちゃくちゃかっこいいな、と思う。
だれも、これを嵐の終わりにはしたがらないけれど、
私は終わりととらえてる。
もう戻ってこないんじゃないかな、とも思っている。
というか、戻ってくるこないはもういっそどっちでもよくて、嵐でも終わりはあるんだという現実をつきつけられてやっと目が覚めた。
こんな「終わり方」、めちゃくちゃかっこいいじゃん。
嵐は当たり前じゃない。あまりにも慣れすぎていた。
大野くんは、節々で「世界を放浪してみたくなった時期があった」とか、嵐を離れたい願望があったことは言っていた。15周年の時のNHKのハワイの特番もそうだし、コンサートの挨拶でも言っていた。
同時に、「今は全くその気持ちはない」と言っていた。
ああ、そうなんだ良かった。と思った。じゃあこのままやっていくんだなって。
でもその気持ちは消えてなかったんだろうな。
そして、それを一番近くで見ていた四人。
一番の理解者でもあり、メンバーで、だから、今日のZEROで翔くんが「本当に多彩な人だから、良く嵐をここまで続けてくれた」というのを言っていたのを聞いて、ああ、もうなんか、メンバーという域を超えて、すごい関係だなと思った。
ファン目線でもあり、信頼している友達の目線でもあり、
嵐はアイドルでいながら、人間としての関係性も理想的だと思った。
高校生の時好きだった世界史の先生が「アイドルは虚像だよ、天皇と一緒」って言ってるのを聞いて衝撃を受けたけれど、嵐はアイドルでありながら虚像を売りにしてはない。特殊なアイドルだと思った。
とにかく、大野くんには一度しがらみから解き放たれて、ずっと過ごしてみたいと言っていた人生を過ごしてほしいです。何様って感じだけど、今はとりあえず嵐の復活を願うより、五人が今までとちょっとちがう過ごし方をできる毎日が来てほしい。
そして、永遠に、私の中で嵐は輝いていてほしいです。
とかいって、現実、WSで嵐をみても、これは本当なのか...??って頭が追い付いていない。確かに目の前にいるのは私がずっと見てきた嵐で、空気感も嵐で、でも、なにこれコラ画像???みたいな錯覚にふと陥る瞬間がある。
受け入れたとき、世界はどうなってしまうんだろうか。世界なんてそんな大げさかもしれないけど、とにかく想像がつかない。
少なくとも、残りの二年は悔いが残らないようにヲタ活極めようと決めた。
推しは推せるうちに推せ
この言葉が自分に効くときがくるなんて思ってなかった~~~けどその通りなのでおとなしく推しまくりたいと思います。